全てがくだらないと思ってしまう事の危険性とは

自己再発見の11 STEP

くだらないと思う事自体は普通です。

くだらないと思える思考があるので、私たちは「1億円当たりました!」といったメールを見ても「くだらない迷惑メールが来たな」と判断する事が出来ます。

くだらないと思うこと自体には問題無いのです。

全てがくだらないと思ってしまう事の危険性

問題なのは、多くの物に対して過度にくだらないと思ってしまうことです。

全てがくだらないと思う姿勢では様々なデメリットが存在します。

流行りのモノがくだらない

全てがくだらないと思ってしまうと、流行り嫌いの原因になります。

流行り嫌いとは、今世の中で流行っているものに対して

「なんか世の中で流行っているけど、自分にはよくわからないな。」

と感じるのですが、よく分からない流行り物を何度も見ることになった結果

「流行っている事 = ムカツク」

と脳内で変換される事を指します。

この状況は本当に不幸ですよ…

毎日のように見る流行り物に自ら過敏に反応して、自ら勝手にストレスを溜めるのですから。

当時の私は、まさに自ら進んでストレスを溜める「オートストレス製造機」でした。

根拠の無い事がくだらない

あなたも霊や占い血液型と言った、科学的に根拠の無い事を耳にした事があるでしょう。

そういった話をしている中に自ら飛び込んで「くだらない。そんな根拠の無い事は信じない」と言った事はありますか?

私にはあります。

特に、霊的な話題になると、そんな話をしている中に飛び込んで、相手の意見を否定していたのです。

相手の集団は楽しんでいたのに、わざわざ中に飛び込んで否定すれば、少なくとも良い気持ちはしないでしょう。

彼らも全てを信じているわけでは無い

オカルト的な話をする人は、別にそれを信じている信じていないに関わらず、話題を楽しんでいるだけという場合も多いのです。

完全に信じているわけでは無い場合も多いのです。

まさに趣味のような話をグループでしている途中に、突然私に「くだらない」と一蹴された人がどう思うのでしょうか。

当時の私が自ら、無意味に嫌われに行っている事が、あなたもお判りになるでしょう。

善意の心がくだらない

Parent and child hands handing white flower

これが最も危険なのでは無いでしょうか。

明らかに相手が善意の心を持って話しかけて来ているのに「自分と話しても得があるわけでもないのに、なんなんだこいつは。くだらない。何か裏があるに違いない。」

と、相手からの好意のバトンをぶん投げてしまう経験、あなたにはありますか?

私にはあります。

20代の私は無職の生活を続けており、他人に見られたく無かったので、過去の知人から来た連絡を、すべて完全に無視してしまったのです。

ただ、相手が善意で連絡をしてきた可能性が十分あるのに、それを最初から無視してしまうことの、なんと非建設的な事でしょうか。

善意の意見は存在する

私は禁煙活動家のアレン・カーを尊敬しています。

彼は禁煙活動を通じて多くの人々を救い、その使命を見事に果たしました。

きっと彼は「世の中からタバコを吸う人を減らす」ことを、自らの使命と感じていたことでしょう。

彼のこの思いは、私は善意ある使命だと思うのです。

善意を受け入れる心構え

私が何を言いたいのか。

例えば、アレン・カーのように、善意から行動する人々が存在することを、あなたにも知っていただきたいのです。

まずは信じてみる

善意の意図を疑う前に、まずはその善意を信じてみるのも良い事ではないでしょうか。

もちろん、最低限の警戒心は必要ですが、最初から疑ってかかるのではなく、一度で良いので、善意を受け入れる姿勢を持つことが大切です。

その一度が、あなたの人生を大きく変えるかもしれませんし、もしかしたら、思いがけない人からの善意が、あなたにとって重要な助けや新しいチャンスなどがあるかもしれない事を、どうか覚えていてほしいと思います。

自己再発見の11STEP、その2、くだらないと思う中に、善意が存在する可能性がある

NEXT→自己再発見の11STEPその3

コメント